南座顔見世 夜の部 感想
京都南座 顔見世 夜の部の感想
私にしては奮発して、3階2列目から見ました![]()
第一 『傾城反魂香(けいせいはんごんこう) 土佐将監閑居の場』
おとく 藤十郎 /浮世又平 翫 雀
狩野雅楽之助 扇 雀 /土佐修理之助 亀 鶴
将監北の方 吉 弥/ 土佐将監 竹三郎
『傾城反魂香』ってこの場面しか上演しないのでしょうか? 題名から想像するに、おそらく全体の話はもっと違う話だと思うのですが、一度通しで見てみたいものです。
よく考えてみると、舞台で見るのは初めてだと思います。たしか昨年の中国公演でも上演されたはずです。
これは近松門左衛門の作品だと思うのですが、しかし近松という人は人間ドラマを描くことにかけては本当にすごいと思いました。私がいうのもなんですが、改めて近松の脚本のすごさを再確認しました。
私が小学生の頃、土曜日の昼間、学校から帰ってきてお昼ご飯を食べると、いつも気がつけば藤山寛美さん主演の松竹新喜劇を見ていました。寛美さん演じる、ちょっとぬけた感じの丁稚さんが主人公のお芝居は、今現在考えると大変微妙な線をいったお芝居だと思います。障害を持つ人、特に発達障害を持つ人を舞台に描くということは、本当に難しいことだと思います。寛美さんも一時期そのことで悩まれたそうですが、実際に障害者の方から「続けてほしい」と励まされて、勇気を持ったというエピソードを新聞で読んだことがあります。
北京に留学していた時に、身体障害者が登場する舞台は、少し前まで中国では描けなかったという話を聞いたことがありました。それは中国では、理想とする社会には、障害を持つ人が存在してはいけないという観念から一種のタブーになっていたそうです。
しかしその当時、二十一世紀に入るか入らないかという時期になって、ようやく中国でもコンリー主演の「きれいなお母さん」(聴覚障害を持つ子供の母親の話)という映画が製作され話題になるなど、障害者とその家族をドラマ化することがタブーではなくなったことを示す象徴的な年でした。またそれとほぼ同時期に製作されたテレビドラマには、身体障害者ではなく、「少し考えが足りない人」(ドラマの表現)を脇役として描くドラマがありました。こうした描き方は現実社会には障害者も健常者と同じように生活しているのだというドラマ製作サイドの姿勢がうかがえました。ドラマでは彼らはたいがい少し考えが足りないがためになんでも警察にしゃべってしまって、事件解決の手がかりを与える役目を担っています。
藤十郎さんはこういう事情をご存じだったかは存じませんが、選んだ演目が非常に鋭いところを突いていると思いました。
前置きが長くなりましたが、又平という人物は吃音というだけではなく、「少し考えが足りない人」としても描かれていると思いました。だからなかなか師匠は彼を一人前として独り立ちさせることができなかったのでしょう。師匠が意地悪としているわけではないのだと思います。
弟弟子に抜かれた又平の無念、又平の一念が引き起こした神業、そしてその神業に天の意志を感じたのか、師匠は彼に名字を許し、喜びいさんで裃をつけて出発する又平と彼を見送るおとく。又平を支えるおとくとの夫婦愛がしみこむ珠玉の作品です。こういう又平とおとくのような人物を描いたところに、私は近松のすごさを感じました。
ただ現在の舞台を見る限りでは、ためすぎている印象を受けました。もっとあっさりできる部分はテンポアップした方が、ためる部分も引き立つというものです。
あと、上方の舞台なのに、セリフに関西色をあまり感じませんでした。文楽を見ているといつも「あぁ、大阪弁やなぁ」と思うのですが、そういう部分が藤十郎さんのセリフぐらいしか感じませんでした。とても寂しいことです。関西ゆかりの俳優さんを揃えておられるのに… おそらく東京での公演も考えて、関西色を薄めておられるのだと思いますが、関西で公演する時はおもいきり関西色を出してセリフを言ってほしいと思いました。
一部、何を言っているのかよくわからない部分がありました。聞き取れないのではなくて、本当に何のことを話しているのか、わからなかったのです。話の筋をよく知らないからだと思うのですが、字幕が欲しかった…
【余談】大向こうさんはまた亀鶴さんの屋号を「大和屋」と叫んでいました。
第ニ 『元禄忠臣蔵 大石最後の一日(おおいしさいごのいちにち)』
大石内蔵助 吉右衛門
おみの 芝 雀
磯貝十郎左衛門 錦之助
細川内記 種太郎
久永内記 桂 三
荒木十左衛門 歌 昇
堀内伝右衛門 歌 六
これは「セリフ劇」という感じでした。最初の部分は伴奏の音楽が全然入らなくて、「これのどこが歌舞伎なんだ? これを歌舞伎と認めるならスーパー歌舞伎の方がうんと歌舞伎らしいぞ」と思うほど、普通のお芝居、または時代劇っぽい舞台でした。後半からは少し伴奏音楽も入ったりして歌舞伎っぽくなりました。
この舞台は作品の内容がどうのこうの、というよりもずばり、吉右衛門さんを見る舞台ですね。関西では初めてお目にかかりました。もっと関西に来て下さい!
おみのの服装がいかにも女性が変装してますって袴で、一人浮いていました。普通の袴にできないもんなんでしょうか? 磯貝とおみのの場面はやっぱり時代劇っぽかったなぁ。
【余談】赤穂浪士は46人ですが、舞台上にはそんな大勢並べないので、内蔵助合わせて17人しかいませんでした(つっこみどころ…)
第三 信濃路紅葉鬼揃(しなのじもみじのおにぞろい)
鬼女 玉三郎
平維茂 海老蔵
鬼女 門之助
同 吉 弥
同 笑 也
同 笑三郎
同 春 猿
山神 仁左衛門
最初出てきた時は良かったのですが、鬼になってからがどうもまだ完成されていない感じがしました。普段鬼になってからの舞踊というは意識してみていなかったのですが、この舞台ではどうも鬼が可愛らしく見えて仕方がないのです。怖い顔をして頭を振ったりしているのだけど、どうも違和感を覚えました。後ろのおばさんは最初「きれいやなぁ、お人形さんみたい」を連発していましたが、鬼になったら「いやぁ、かわいそう」とくすくす笑い出していました。確かにそのおばさん以外にも会場内でくすくす笑い声が聞こえていました。変だよ、あそこ。どうして笑われるかというと、やっぱり演じている人達が鬼になりきれていないからだと思います。人を食べてやるぞという鬼の執念のようなものがあまり感じられないのです。全体的に見応えはありましたが、最後がちょっと期待はずれでした。
仁左衛門さんの山神は、もっと若い人がやるべき役ではないかと思いました。仁左衛門さんは海老蔵さんがされていた維茂をやった方が良かったです。やっぱりかっこいい仁左衛門さんが見たいじゃないですか? 海老蔵さんの扮装が「紅葉狩」と「源氏物語」でかぶってしまうので、見ている方としてはおもしろくなかったです。
第四 源氏物語千年記念
『源氏物語(げんじものがたり)
夕顔
五條 夕顔の屋敷 池のほとり』
光の君 海老蔵
夕顔 扇 雀
惟光 猿 弥
六條御息所 玉三郎
海老蔵さんの光の君は本当に光っていて(そう見えた)、どこから声を出しているのかわからないような優男らしい声で、さすがでした。扇雀さんも夕顔の雰囲気が良く出ていて、好演。猿弥さんも安心してみていられます。光の君と夕顔の絡みの部分はスーパー歌舞伎の絡みを思い起こさせました。セリフは少ないのですが、けっこうスーパー歌舞伎っぽい感じがしました。スーパー歌舞伎には歌舞伎にしてはストレートな恋愛シーンがありますからね…
玉三郎さんが六条御息所の生き霊となって、夕顔を殺す場面などはずいぶん昔、玉三郎さんの「葵上」という地唄舞を見る機会がありましたが、その踊りを踏襲しているような舞踊劇っぽい舞台でした。ただ、ずっと証明が暗くて、見えにくかった…。もう少し明るくしてほしい。3階からでは全然はっきり見えません…
最後は9時半で終わり。「あれ、もう終わり?」という感じでした。今後再演されて更に練り上げられることを期待したいです。
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